事業家ハワード・ヒューズ
地球上の歴史の中で、もっともお金持ちになり裕福になった一人「ハワード・ヒューズ」。
彼は、幸運をキャッチするために、じつに多くもの釣り糸を投げ込む、つまりいくつもの
事業を同時にこなして実際に幸運に恵まれた人です。
もしかすると、多くの人が、ハワード・ヒューズは莫大な資産を相続した非常に恵まれた
人のように思っているかもしれませんが、じつはその相続該当者には多くの人がいたので、
彼の取り分は多額ではありませんでした。
遺産の主なものとして、石油用機材の製造を業務とするヒューズ・ツール社の株式75%
などがあります。
石油関係の事業で一財産築いた人の子供などその当時はたくさん存在したし、そくにその
遺産自体はとてつもなく大きいものではなかったのです。
さて、学生時代ハワード・ヒューズについては、だれもが彼を負け犬だと思っていました。
ほとんど口はきかないし、いつも幽霊のようにいるのかいないのか分からない学生でした。
そして、学校に登校して、為にもならない課題をこなして、そうそうと家に帰ることが
日課だったのです。
しかし、高校卒業後に「これからは幸運な人生を歩みたい」とこれまでの自分を変えようと
したからなのか、18歳のころに父親の資産であるヒューズ・ツール社の株式を相続し、
会社の立て直しにとりかかりました。
当時のヒューズ・ツール社はそれなりの収益は出していたものの小さな会社で、将来的的に
この事業が成長を遂げるとはまったくいえない状況でした。なのでハワード・ヒューズは
石油事業以外の他事業が必要だと判断したのです。
たとえば、映画制作、航空会社、カジノホテル経営、不動産、エレクトロニクスなど、その
範囲は多岐にわたりました。
もちろん、すべての事業が成功したわけではなく、中にはまったく軌道に乗らず主力商品
自体を一度も製造できなかったものもあります。
しかし、同時に多くの事業に取り組むことで、幸運をつかむチャンスに恵まれ、映画での
興行収入は大きな成功をおさめ、トランスワールド航空(TWA)の株式が莫大な利益を
もたらすなどして、彼が永眠するまでになんと10億ドル以上の資産を築いたといいます。
もしも、親から受け継いだ当初の石油事業だけをこなしているだけだったら、会社の
業績は悪くなり、他の事業からの資金援助がなければ倒産していたかもしれないのです。
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